映画、真田十勇士からよむ死の美学
9月24日(土)から公開された真田十勇士。日テレプレゼンで総製作費は相当かかっているそうです。
おそらく伝えたかったテーマは、「嘘が真か、真が嘘か」という言葉に表されるように、「ウソも突き通せば事実となる」ということだと思います。
しかし私が感じたものは、「死」の見せ方について
私は、常日頃から『自殺=無益、無意味』なものだと考えています。
戦国時代においても、負け戦だと分かった瞬間に切腹したりと、私には理解ができません。
三国志でも誰かいましたが、自殺するくらいなら相手に突っ込んで道連れにしてやろう!的な考え方の方がはるかに意味があると思います。
現代のイスラム系の「ジハード」も納得できず、自爆テロに関してはむしろ『有害、損失』だとすら感じます。
さて、翻って「真田十勇士」
びっくりするほど人が死んでいきます。
歴史を知っている方はどちらが戦に負け、誰が死ぬのかご存知でしょう。
ひとまず、映画を現在進行形で見ている立場として実況です。
大阪夏の陣で徳川家に突撃する際に死にます。そりゃ死ぬよ、相手多いもん。
ただ全員不意をつかれて即死などではなく、切られた後も幸村たちに道を作るため相手を払ったり、切りつけたりとなかなかの生命力です。
死に際が実にリアル。口からすごい血が出る。
2、真田大助、幸村
真田大助は幸村の子供です。幸村の後に続き、もし幸村が家康を打ち取れなかったら代わりに大義を果たすよう任じられていました。
仲間が開けてくれた道をたどり、ようやく2人は家康のいる本陣へとたどり着きます。
「絶対鉄砲部隊待ち構えてるわー」と思ったところで、案の定出てきます。
そしてまさかの、鉄砲構えているところに向かっていきます!
考えさせられました。なぜ死にに行ったのか、それでよいのか。
3、猿飛佐助、霧隠才蔵(と子分2人)、ほたる、淀君、豊臣秀頼
最後には、生き残りということでこの7人が集結します。
ほたるは霧隠才蔵が異常に好きで、殺したい(←なぜこうなるかは謎)
霧隠才蔵は淀君が家康と内通していたことを知り、殺したい(子分はそれに従う)
猿飛佐助は淀君と秀頼を守りたい
というわけで全員が殺し合いをするカオス展開。
ただ、これはあくまで結論ではなく、一視聴者目線で実況したまでにすぎません。
結末として、誰かが生き残っています。
さてタイトル回帰ですが、この映画から感じた「死の美学」について
冒頭でも言ったように「自殺=無益、無意味」だと思うんですよね。
ですが、この映画の中で自ら切腹で死ぬことがないんですね。殺されに行くことはありますが。
死の際、すべてのキャラクターが自分以外の人に「何か」を残そうとして絶命します。
幸村であれば、真田家としての名誉のために。また息子の大助は父のために。
淀君は秀頼のために。
その「何か」は誇りであったり、優しさだったり、また命であったり。
私にとってきらいな散り際ではなかったですね。
そして誰が生き残っているのか見るためにも是非劇場へどうぞ!
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