これだから「ゆとり世代」をばかにする大人たちは
「ゆとり世代」
この言葉にどれだけの人がくくられているか。
しかもこれはネガティブな言葉。
誰かを責め立てる時、もしくは世代をひとくくりに称する時でさえも少なからず悪意が含まれています。
学習能力が低下した世代。社会的常識の欠落した世代。失敗の世代。
これが「ゆとり世代」に対する社会のイメージ。
そもそも「ゆとり世代」はどのように始まったのか。
小中学校において2002年度以降に学習指導要領を受けた方々が「ゆとり」と言われています。
「ゆとり」という言葉は後付けではありません。最初から「ゆとり教育」と言われていたのです。
それまでの詰め込み教育ではなく、学習にかける授業を減らし、社会で生きるための要素を学ぶ授業をするように変更された。
数学では公式を習わずに、中学で習う科学は高校に後回しになりました。
その結果どうなったか。
学力の低下が騒がれ、教育に問題があると指摘されました。
その通りです。
授業の内容を減らしたのだから学力が落ち込むことは簡単に予想されることです。
実際にそうなりました。そしてバカみたいに騒ぎました。
これが「ゆとり教育」が失敗であったと言われる端緒です。
問題にすべきなのは減らした授業のことではなく、代わりに増えた道徳や総合といった授業のことです。
社会で生きる力をつけるための道徳や総合は生かされたのか。
答えは否。
導入された新しい制度に、教師たちはたじたじ。
活用されないまま年月が過ぎていきました。
道徳の授業で習うものは、あいさつが必要だとか、戦争はやめましょうとかそんな話。
正直言って価値の押し付けです。
適切な指導のモデルも提示せずに、現場任せにしてしまった文部科学省に責任があるのではないでしょうか。
学力の低下で騒ぎ、代わりに増えた授業の内容も精査せずにその学習指導要領を受けた子供たちを批判するのはおかしい。
社会で生きる力をつけることが「ゆとり教育」の目的だったのだから、見るべき数字は犯罪率や自殺率。
ほかには就業率やひきこもり率なんてものも調べたらいいんじゃないかと。
でも、ひとつ間違いなく言えるのは
卓上で学べる道徳なんて無いということ。
安易に増やしたこの道徳に何の価値も無かった。
外に出て人と触れ合うことでしか、道徳は学べない。
「ゆとり世代」を批判するみなさん
まず世代でひとくくりにするバカな真似はやめましょう。
出来たら、ある世代を否定する前に、自分たちの世代はそれほど優秀なのか考えてみてほしい。
人を個として認め、対話すること。
言われなきゃ気づけないようですが、当たり前のことだと思います。