ぷちナショナリズム症候群 日本人の知らないこと
まず、ナショナリズムという言葉に馴染みのない方はこちらをどうぞ。
多くの外国人が日本に留学して感じること、それは
日本人の多くの人で、海外に行ったことがない、また英語以外の言語を学んだことがないのにも関わらず日本という国を一番だと思っていること
です。
つまり、外国を知らない割になぜ日本にいることを誇らしく思っているのかが疑問だということです。
他国を認識することで、自国民意識への回帰がされるナショナリズムに対して、
他国などおかまいなし、見えているのは視界にうつるもの。ただそれを誇らしく、またとないものだと思うこと、これがぷちナショナリズムです。
宗教の世界でも言われている話で、ある住職さんから聞いた話なのですが
「日本人は無宗教だと主張したがる。今でも火葬を採用しているし、お盆や仏壇なども残り続けている。確かに数百年前に比べて熱心な信仰者が減ったのは確かですが、それはキリスト教の欧州やアジアでも同様です。
しかしながら、日本人はどういうわけか自分たちだけかのように謳い、傲慢にも宗教観が薄れた現状を賛美しているかのように感じます。」
四季に関してもそうですが、いまだに日本にしか四季がないと勘違いしている人がいるようですね。
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こちらの記事にも気になることが書いているのですが、一部引用させていただきます。
都会で忙殺されている人も、実は東京って良い所なのかもしれない、と、ラッシュの電車さえポジティブに捉えられるようになる効果が。二次元が三次元に影響し、日常が美化されます。このところの、日本をホメたり肯定することで満足する日本礼賛文化の一環でしょうか。
注目すべきは、日本礼賛文化という言葉です。
ぷちナショナリズム=日本礼賛文化という構図ではありませんが、その一例とはいえます。
しかし、日本礼賛文化という言葉こそが危険なのです。
何をもって礼賛するのか、なぜするのか、また日本礼賛文化という言葉が先行しているのではないかという疑問が多く巻き起こります。
ぷちナショナリズムはいずれ全体主義(=ファシズム)に行き着くのではないかとの不安があります。全体主義ないしあるイデオロギーを浸透させるためには道徳を用いる手法があります。道徳から日本の良さを伝え、時には国を守るために立ち上がらせ、また時には日本の防衛とは関係のないところに向かわされるかもしれない。
何事も無意識とは、危険な側面と隣り合わせなものですが、ぷちナショナリズムはその典型です。
道徳についてはまた次の記事で詳しく記そうかと考えています。
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