マンキューにとってドラマ『逃げ恥』はどう見えるのか
火曜10:00~放送されていて、絶大な人気の『逃げるは恥だが役に立つ』
新垣結衣と星野源のW主演で、さらにエンディングの「逃げ恥ダンス」が可愛すぎると話題になっています。
ちなみにドラマ名の「逃げるは恥だが役に立つ」はハンガリーのことわざだそう。
第2話でタイトル回収がされ、その心は「逃げたって構わない。生きることの方が大切で、その点においてはその決断に対して異論も反対も認めない。」とのことらしいです。
さて、ドラマの内容は偽装結婚(=賃金の発生する結婚)ということなのですが、これを経済学者のグレゴリー・マンキューの言葉を借りながら考えてみます。
偽装結婚がGDPを増やす⁉
GDP(gross domestic product)とは国内総生産のことで、「一定期間において、一国内で生産されるすべての最終的な財・サービスの市場価値」です。
ここで留意すべきなのは2点。
まず、三面等価の原則です。経済学では生産・消費・支出は同額だということです。
2点目に、財のみならずサービスもGDPに含まれるということです。
サービスのことを生産というと分かりづらいですが、賃金をもらうとなればその分支出する人がいるというわけで、三面等価の原則から言えば十分GDPだと認識できるわけです。
つまり、家事代行サービスというのは賃金をもらっている以上、立派な産業の一部であり、GDPの構成要素と言えます。
しかし...ここからが重要なのですが
もし、大きな庭を持つ太郎さんがいて、その手入れの面倒さから庭の手入れを近くに住む洋子さんに依頼したとします。洋子さんもただではやりたくないので、対価を太郎さんから提示されることで依頼を引き受けることになります。
その時、賃金の支払いが発生し、つまりサービスが生産されてGDPに加算されます。
ところが、太郎さんと洋子さんがこれをきっかけに結婚して、洋子さんが(もしくは共同で)庭の手入れをするとなれば話は大きく変わります。
結婚して賃金の発生しなくなった庭の手入れはもはや生産されたサービスではなく、GDPの構成要素では無くなりました。
つまり、「逃げ恥」で言えば、みくり(新垣結衣)と津崎さん(星野源)が本当の意味で結婚してしまえば、家事代行サービスによるGDPへの加算は無くなります。
しかし、この偽装結婚は賃金の発生する契約結婚なのでまだGDPの一部として(理論上は)加算されるのです。
比較優位の原理に当てはまる?
比較優位の原理とはリカードが残したもので、平たく言えば各々は得意分野に取り組めばいいというものです。
これは自由貿易を進めるために論じたもので、例えば日本は車を作ってアメリカは牛肉を生産して交換した方がうまくいくとのことです。
現代には、サッカー界にクリスティアーノ・ロナウドがいて彼は素晴らしいプレイヤーとして有名ですが、同時に広大な家と土地を持っています。
大きな家を隅々まで掃除するのにおそらく想像しがたい時間が使われるのでしょうが、彼がすべてを掃除するわけではありません。
なぜならば、彼の本業はサッカーであり、試合や練習、もしくはタレント業として広告に使われた方が儲かるからです。ここで彼は家の掃除に使う3時間を、100万円に変えたわけです*。
(*数字は仮のものです)
ここで再び家事代行サービスの話ですが、クリスティアーノ・ロナウドが家政婦を雇い3時間3万円で賃金を設定したならば、彼は報酬の出ない3時間の掃除の代わりに97万円を儲けたことになり、また家政婦は時給1万円の仕事を手に入れたことになります。
つまり双方が得をしています。
「逃げ恥」では、SEの津崎さんは家事が苦手で他の人より多くの時間を浪費していました。もし、この家事にかける時間を仕事やアイディアに回すことが出来ればより多い給料を稼いでいたかもしれません。
みくりは家事が得意で、しかもリストラ後だったので職を探していました。
適材適所というのは便利な言葉ですが、得意分野に専念することでより大きな利益を得る。
比較優位の原理が「逃げ恥」で十分説明できまし、とても良い状況です。おそらく天国のリカードも微笑んでいることでしょう。
まとめ
ドラマとしてかなり面白いですが、おそらくマンキューが見ていても(興奮どころは違えど)相当面白がって見てくれたと思います。
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活発な経済のために
今回の議論はリチャード・カンティロンの『商業試論』(名古屋大学出版会、1992年)を受けてである。
まず、経済活動を活発な状態に保つための経済的環境を論じる前に欠かせない前提がある。それは、「貨幣量の増加は消費の増加を生み、価格の高騰を引き起こす」というものである。
貨幣量が増えるには2種類の方法がある。まず一つ目に、金山や銀山の発掘によるものである。この場合、先に述べた前提により、多くの国民が流出する事態が発生する。二つ目に諸外国との貿易差額によるものであるが、こちらの場合では恒常的に大多数の住民が国内に流入する。しかし年々恒常的にこの差額で貨幣の著しい増加があるならば、それは金山・銀山の発掘と同じ結果をもたらす。それでも、消費が増えると輸入も同時に増えるのでこの差額は減ずることが一般的である。
この貿易差額による貨幣の増大は極めて重要である。なぜなら、諸国家の相対的富は国が主として保有する貨幣の量にあるからである。貿易差額を有利に保つためには輸出品の定評や海運の良さは欠かせない。しかし繰り返しになるが、貨幣の増大は価格の高騰を生み出し、国にとって危険な状態をもたらしうる。そこで、国は貨幣を引き揚げ、流通の外に置いて保管するべきであり、そのための目安として「地主たちとの賃貸契約と地代」を判断基準にするとよい。
さて、豊富な貨幣量の保有が近隣諸国に対して有利になる根拠であるが、以下の二つに分けられる。一つ目に人件費があげられる。人件費の高さは流通している貨幣と相関関係がある。二つ目に、国家の収入として大きな金額が集まるからである。仮に敵対している二人の君主がいて、一方は多くの貨幣を持っており、もう一方は、貨幣は持っていないが敵の貨幣全部の2倍以上の価値のある領地を持っているとすれば、有利なのは前者である。土地の譲与は異議申し立てや取り消しを受けやすい、いわばリスク付きのものに対して、貨幣はこの上なく安心だからである。
ここで、貨幣量を増やすもう二つの方法を提示する。それは、企業者や個人が利子を払うことを条件に外国の取引先から貨幣を借り入れるか、外国の個人が株や公債を買うために、彼らの貨幣をその国に送ってくる場合である。この場合によって、企業者たちは利益を期待して製造所を作り、消費の増大によって国家はより多くの消費税を受け取ることになる。しかしながら、一時的に利益をもたらすものの、その結果はやっかいで不利なものとなる。まず、毎年の利子の支払いである。さらにもっと厄介なのは外国人の意のままにされることである。彼らが貸付をやめようと思えば、たちまち国家は困窮に陥り、一度国が衰退するとその後の借り入れは信用の関係で困難なものになるからである。やはり、現金の量を増やすには貿易差額でしかない。
現金量の増加以外に、一国において有益であり、かつ必要なものがある。それは金利である。利子は信用と危険によって定められるものだが、高利の場合でもそれらは有益であるとされている。もともと資金が無く企業者として生きていく術が無かったとしても、借り入れによって従属者の立場から主人として流通に参加できるのである。
最後に経済的環境について別の視点から言及する。その視点とは、戦争と貨幣の関係である。先ほどのトピックであった利子に関して言えば、戦争には巨額の出費を行う時に利子の価格は上がる。軍需物資を供給する多数の企業の進出と、増大によって借り手が増えるという理由と、戦争状態である危険性からである。外国から資金を調達した時には、以前に述べたように、やがて外国の意のままにされる可能性がある。また、暴力によって現金を増やす方法も、ローマ帝国の例を見ればわかるように必ず衰退の道を辿るのである。
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辛いんじゃねー⤴@野猿二郎
量もさることながら、味も最高の名店です。
普通の二郎も最高なのですが、野猿二郎のリピーターになってしまうのはやはり「限定メニュー」の存在が大きいです。
12月2日から始まった『辛いんじゃねー⤴』
食券に100円と「辛いんじゃねー⤴」の一言を添えると提供されます。
「辛いやつ」と混同されてしまうといけないので、きちんと正式名称の「辛いんじゃねー⤴」と言いましょう。
食券にはKJと書かれますが、ほぼ100%で「辛いんじゃねー⤴」の略ですね...
限定メニューは、休日と平日の昼で提供されることが多いのですが、今回は平日の昼でも食べられるそうです!
さて、今回は平日の夜6:00にお伺いしました。
周りを見渡してみると「辛いんじゃねー⤴」を食べている方は1/15という感じでした!
今回は野菜・にんにくでコール。
スープの色は真っ赤です。
肝心のお味ですが、
とにかく辛い!でも美味い!
輪切り唐辛子が入っているので、辛さがダイレクトできます。
たださすがは自家製ラー油を使っているようで、うまさも同時にあります。
二郎由来のというわけではありませんが、どうやら使用しているラー油の油がかなり出ているらしく、(珍しく?)ヘルシーな油を堪能できます。
はじめは後からくる辛さなのですが、終盤になって、しっかりとスープにしみ込んだ麺と野菜を食べていくとすぐに辛さを感じるようになります。
このあたりが、「辛いやつ」と違うところでしょうか。
食べているうちに汗がふきだしますが、最後には麺や野菜が敵に見え、辛いスープに浸りきらない豚だけが味方に見えます。
まさに戦っているという形になるのですが、この辛さは暴力ではなく愛の鞭です。
今回もまさに躾けられたということで、次回また食べてしまいそうなハマり方をしてしまいました...
汗を拭く用のタオルとティッシュを持っていくことを推奨します!
これだから「ゆとり世代」をばかにする大人たちは
「ゆとり世代」
この言葉にどれだけの人がくくられているか。
しかもこれはネガティブな言葉。
誰かを責め立てる時、もしくは世代をひとくくりに称する時でさえも少なからず悪意が含まれています。
学習能力が低下した世代。社会的常識の欠落した世代。失敗の世代。
これが「ゆとり世代」に対する社会のイメージ。
そもそも「ゆとり世代」はどのように始まったのか。
小中学校において2002年度以降に学習指導要領を受けた方々が「ゆとり」と言われています。
「ゆとり」という言葉は後付けではありません。最初から「ゆとり教育」と言われていたのです。
それまでの詰め込み教育ではなく、学習にかける授業を減らし、社会で生きるための要素を学ぶ授業をするように変更された。
数学では公式を習わずに、中学で習う科学は高校に後回しになりました。
その結果どうなったか。
学力の低下が騒がれ、教育に問題があると指摘されました。
その通りです。
授業の内容を減らしたのだから学力が落ち込むことは簡単に予想されることです。
実際にそうなりました。そしてバカみたいに騒ぎました。
これが「ゆとり教育」が失敗であったと言われる端緒です。
問題にすべきなのは減らした授業のことではなく、代わりに増えた道徳や総合といった授業のことです。
社会で生きる力をつけるための道徳や総合は生かされたのか。
答えは否。
導入された新しい制度に、教師たちはたじたじ。
活用されないまま年月が過ぎていきました。
道徳の授業で習うものは、あいさつが必要だとか、戦争はやめましょうとかそんな話。
正直言って価値の押し付けです。
適切な指導のモデルも提示せずに、現場任せにしてしまった文部科学省に責任があるのではないでしょうか。
学力の低下で騒ぎ、代わりに増えた授業の内容も精査せずにその学習指導要領を受けた子供たちを批判するのはおかしい。
社会で生きる力をつけることが「ゆとり教育」の目的だったのだから、見るべき数字は犯罪率や自殺率。
ほかには就業率やひきこもり率なんてものも調べたらいいんじゃないかと。
でも、ひとつ間違いなく言えるのは
卓上で学べる道徳なんて無いということ。
安易に増やしたこの道徳に何の価値も無かった。
外に出て人と触れ合うことでしか、道徳は学べない。
「ゆとり世代」を批判するみなさん
まず世代でひとくくりにするバカな真似はやめましょう。
出来たら、ある世代を否定する前に、自分たちの世代はそれほど優秀なのか考えてみてほしい。
人を個として認め、対話すること。
言われなきゃ気づけないようですが、当たり前のことだと思います。
就活生から見る、映画『何者』
2016年10月15日公開の映画『何者』
豪華6人の主要キャストとともに繰り広げられる「就活」をもとにした映画です。
今年就活をしていたこともあり、気になる映画だったので見てきました。
スーツを着ていた菅田将暉は1UPのCMにしか見えませんでした。
まず、キャスト紹介です。
二宮拓人/佐藤健
田名部瑞月/有村架純
小早川理香/二階堂ふみ
宮本隆良/岡田将生
サワ先輩/山田孝之
性格も環境も違うキャラクター
主人公は佐藤健。分析力の優れた学生です。
リアルな世界と向き合わなければならない有村架純、バンドの元ボーカルで明るく要領の良い菅田将暉。
留学経験もあり仕切り役の二階堂ふみ、就活に反抗し個の能力で勝負すると自身満々の岡田将生。
そして、なんでもお見通しといったような頼りになる先輩の山田孝之。
一人ひとりの個性も思想も強いので、彼らが湘南美容外科クリニックのドクターだったとしても「好きな言葉は〇〇です!」で被らなさそう。
SNSの使い方がリアル
LINEのやり取りがあるあるです。相手が既読になっているのに連続でメッセージを送ったり、LINE上で喧嘩して仲たがいしたりと、面と向かっていないが故に起こる衝突が丁寧に描かれています。
そして、Twitterの使い方。
相手を目の前にしてその人のTwitterを見たり、普通に話しているようで実はツイートしていたり。
さらにはみんなの知らないもう一つのTwitterアカウントを持っていて、かなりブラックなことを吐いていたり。リアルなことをぶつける場としてTwitterが気持ち悪いほど、そのありのまま表現されています。
ちなみに私はTwitterのアカウントを持っていますが、二郎の情報収集にしか利用していません。
実はこのタイトルの『何者』にはよく見ると下に「n@nimono」とアルファベットで並んでいます。この@はTwitterのアドレス前に表示されるものを表現しているのではないでしょうか。
二階堂ふみが劇中で言っていた、「メールアドレスからTwitterのアカウントを特定できる」という言葉からそう考えました。
最後の最後までこのTwitterは映画で重要な役割を果たします!!
映画タイトルの伏線回収はここがミソです。
印象的な音楽
映画を見終わった後も、音が耳に、というか頭に残っていました。
正直この映画は明るいものじゃありません。見た後もぼーっとしてしまうような心の奪われ方をする映画です。
その頭に残っていた音というのは、バスドラが細かく叩かれる音やピアノの低音がどっしりと鳴り響く感じ。
常に低音が鳴っていたので、バロック音楽の通奏低音という言葉が当てはまります。
まるで不安という伴奏の上に、日常という和音が成立しているよう。
やがてその和音が不協和音だったということに気付くのは映画のラストになってからです。楽しみにしていてください。
演劇もまたキーワードなので、映画というよりは演劇音楽かな?と思われるような演出もありました。
そして何より印象に残った音は、スマホで文字を打つ音です。ほとんどの人が消しているであろうキーボード入力音です。
効果音でこれを使うかーと唸ったのですが、やはりTwitterをメインに出してくる映画なだけありますね。
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映画『何者』の伝えたかったもの
少なくとも、我々のイメージする「就活」を肯定するものではないかと思います。
真に迫るシーンだったのが、開始60分の場面。
就活生に1分で自己アピールを求め、まるでマニュアルのように「自分」について話し始めます。あまり、見ていて気持ちいいものではないのですが、そう見せているのでしょう。
その直後には、演劇団員たちに同じく自己アピールを求め、彼らがそれぞれの思いを語る場面です。本気で語り、涙を流しながら自分を訴えかける姿には、これがこの映画の見せたかったものかと感じました。
途中、佐藤健の放った「人の頭で考えたものはすべて名作」というものは名言です。
また、有村架純の「100点じゃなくていい。10点で20点でも出せる分出しなよ!」というのも同様ですが、現実と向き合うことを訴えているメッセージでしょう。
また、菅田将暉の言う「内定というのは存在の肯定のように見えるが違う。就活には結局のところ得手不得手がある」という言葉からは、就活がスキルの証明で、ベースとなっている社会に疑問を呈しています。
まとめ
この6人の登場人物に自分を重ねてしまいます。全く同じ‼ということはあり得ませんが、どこか合計してみたりぼんやりと型にはめ込んでみると、映画の中で「私だったらこういうドラマになる」と想像しますね。
余談ですが、このレビューの中で一番気に入っているのは、「まるで不安という伴奏の上に、日常という和音が成立しているよう。」というフレーズです。
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最後に
有村架純が可愛すぎました。